会心の面を解く

田中 孝則

平成6年(1994)全日本学生剣道優勝大会
10月30日、大阪府立体育館
決勝戦における勝負がかかった中堅戦での有効打突。見事な一枚に、見開き全面掲載を敢行

日々の努力が体格差を埋め、決勝の一打に凝縮された

全国から世代トップの高校生たちが集う名門・中央大学。
部内でのレギュラー争いも熾烈になる中、当時、田中孝則は1年生ながら全日本学生優勝大会のメンバーに抜擢された。その座を射止めるために、高い意識をもって新人戦や部内戦で結果を出すことに努めたという。

平成6年の第42回全日本学生剣道優勝大会に出場した田中は、中央大が戦った全6試合のうち、2、3回戦で先鋒、決勝戦で中堅と3試合を託された。決勝の相手は大阪体育大学。
準決勝で優勝候補の一角・国士舘大を破り、勢いに乗っていることは明らかだった。しかし中央大は、伝統として息づく大舞台での強さを光らせ、先鋒、次鋒、五将が一気に3連勝。
王手をかけた状況で、田中に出番が回ってきた。

相手は4年生の鈴木(裕之・現在教士七段。全日本東西対抗大会等で、卓越した剣さばきを披露している)。
長身の鈴木に対し、小兵の田中は中学の頃から練り続けてきたという足を活かした剣道で対応。

田中は当時をこう回想している。

「身長が低いため当時は小手や胴やひき技を主体にしていましたが、上背のある選手と対戦する際は、面に対する警戒感が薄れることを想定し、どこかの時点で面を狙うのも手段の一つにしていました。あの試合の時は状況的に取り返しに来るだろうと予想できたので、主導権を渡さぬよう足を使ってどんどん攻めました。面の機会としては、出ばなではなく動きの中で相手の居着きを察して跳ぶパターンが主で、あの時もそうした面でした」

流れの中でひき小手も追加した田中が見事にチームの優勝を決めた。

中学、高校と年間五百回にも及ぶ練習試合をこなし、試合勘は練られた。
追い込み、掛かり稽古、ランニングを日々徹底し、「誰にも負けない足」は練られた。弛たゆまぬ工夫・研究によって、相手との体格差をチャンスに変えられるほど腹も練られた。
そうした努力の集大成ともいえる一打。
写真がオーラを放つのも納得がいく。

田中孝則
(たなかたかのり)

昭和50年生まれ。
奈良県の鴻ノ池道場で学び、正強中学校・高校を経て中央大学へ。
卒業後は富山県で教員となり、現在、富山工業高校教員。
全国教職員大会個人戦優勝・団体3位、国体優勝、全日本選手権大会、全日本都道府県大会出場等の戦歴を持つ。

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