会心の面を解く

岩堀 透

昭和61年(1986)
全日本剣道選手権大会
11月3日、日本武道館。準々決勝で西川に決めた二本目の面。
当時の本誌にはなぜか採用されていない初公開写真である

ライバルのクセを研究し、そこを打つ稽古をしていた

今から28年前、昭和61年の全日本選手権大会で優勝したのは大阪府警の岩堀透だった。全日本選手権の内容が低下しているという理由で「六段以上」の出場資格制限、および判定制が採用されて3年目だが、現在と比べてみれば、ほとんどの剣士が防御よりも攻撃に重点をおいていたような記憶が残っている。その象徴と思えたのが岩堀だった。

岩堀教士に当時のことを尋ねてみた。

「相手よりゼロコンマ何秒、まばたき一つする間でも先に打った方が勝ちですから、そういう稽古ばかりをしていました。全国大会で対戦するような選手のクセを見つけて、そこを打つ稽古をしていたんです。みなさんそれぞれ、起こりのところにはちょっと竹刀を下げてみたり、グンと力を入れたりといったクセがありますから。Aパターン、Bパターン…… A'パターンといろいろと考えて……楽しかったですね」

日常生活でも、横断歩道の前で手で構えを作り、信号が青になった瞬間に前に出るというようなこともしていたという。

この大会、岩堀は1回戦から準々決勝までの4試合はすべて二本勝ち、準決勝は一本勝ちで、決勝だけが延長での勝利。奪った十本の内訳は、面が七本、小手が二本、胴が一本だった。

緒戦は中野尚(山梨)に小手を先取したあと面、2回戦は村雲荘一(富山)に小手と、相手が面に来たところへの抜き胴を決めた。3回戦以降はすべて面。東海大学の後輩である古川和男(北海道)には開始早々に跳び込み面、さらにひき面で快勝している。突きを得意とする古川のクセも当然研究ずみだった。

注目されたのは準々決勝の西川清紀との対戦、大阪府警と警視庁の大将同士である。この試合で岩堀は会心の面を決める。予想に反して序盤から試合が動き、開始早々つばぜり合いから放った岩堀選手のひき面が決まり技となる。

「西川選手がつばぜり合いでなぜか中心を空けてくれたように見えた。(誘いの動作だったかもしれないが)その前に打ってしまったんです」(岩堀教士)

さらにその数合後、岩堀は見事な跳び込み面を決める(写真上)。
編集部に当時の映像は残っていないが、準々決勝以上の3試合はユーチューブで見ることができた。
この二本目の面は西川が竹刀を下げて攻める瞬間に迷いなく面に跳んでいる。まさに捨てきった面で、当たった瞬間、西川の剣先はあてもなくさまよっているようだった。

準決勝は柏木雄二(鹿児島県警)との対戦。映像で確認すると、岩堀がメン、さらにコテと素早く打つが、これらは打ち切らない誘いで、それに応じて柏木が面にくるところに面を決めている。
巧みな三段技で、その瞬間の動きは実に速い。

決勝の相手は亀井徹(熊本県警)だった。亀井は岩堀の面を警戒していたようで守りは堅く、試合は延長2回目に入る(当時延長は3分ごとに区切っていた)。
決まり技は小手から面だが、柏木に決めたような速い連続技ではない。小手を打ったあと、一瞬かついでためて打った面だった。当時の本誌に岩堀のこんなコメントが載っている。

「ふつうのリズムでコテ・メンといったのでは、いくら早く打っても応じられると思い、裏からコテにいき、かついで様子を見ました。そうしたら亀井選手はメンを防ぐ感じがなかったので迷わずメンにいきました」

それにして、この3試合だけを見ても、同じ面でも打ち方のバリエーションが豊富なことに改めて驚かされる。

「生まれ育った湯沢(秋田県)の先生方のおかげです。抜きから払いから、すべて教わりました。ひき技も小学生の時から打っていました。東海大学に入って井上正孝先生に、『岩堀君、君だけだよ、直すところがないのは。そのまま頑張りなさい』と言われたのを覚えています」(岩堀教士)

■岩堀 透
(いわほりとおる)
昭和27年生まれ。
秋田県立湯沢高校、東海大学を卒業後大阪府警に進み、全日本選手権優勝、警察選手権優勝、世界選手権団体優勝などの戦績を残す。
現・大阪府警名誉師範、教士八段


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