会心の面を解く

松原輝幸

平成7年(1995)
明治村剣道大会
4月9日、明治村・無声堂。
暗い無声堂での撮影は苦労もあったが、古式ゆかしい道場はモノクロ写真と相性が良かった

実戦で見せてくれた「一拍子の打ち」

明治村剣道大会は唯一の八段戦として、昭和52年から平成14年まで開かれていた。平成5年のことだったと思う。この大会で松原輝幸の面打ちを見たとき「あっ、腰で打っている」と感じた。「腰で打て」という言葉はよく耳にしていたが、その言葉通りの手本を初めて目の前で見せてもらった気がした。

松原範士自身の言葉によれば、それは
「一拍子の打ち」だった。のちに本人が本誌誌上で解説しているが、分かりやすく言えば、それは日本剣道形のような打ちである。「イチ」で振りかぶり「ニ」で振り下ろすのではなく、振りかぶるときに右足を出す打ち方である。それによって腰が入り左足が遅れることもない。

「一拍子で打て」と教える人は当時も少なくなかったが、実際の試合では八段であっても右足で跳び込み左足が残る打ちをする人は多い。それがつまり跳び込み面なのだろう。しかし松原の面は一般的な跳び込み面とは一線を画していた。確かに剣道形に近い打ち方だったと思う。

平成7年の1回戦で水野仁に決めた二本目のこの面は、その特徴がよく出ている。竹刀は相手の面に当たる直前(または直後)だが、右足がすでに着地している。
(多くの人の跳び込み面は、竹刀が当たった瞬間、右足はまだ着地していない)。

昭和63年、51歳の最年少で明治村大会に初出場を果たした松原は見事優勝をさらう。しかしこの優勝ゆえに若手の八段を出場させることが問題になり(と聞いている)、その後数年大会に出場していない。再び登場した平成5年と写真の7年に3位、平成6年と8年にベスト8という戦績を残した。戦後の警察剣道界でならした強者たちが代わる代わる優勝する中で優勝には手が届かなかったが、勝負うんぬんではなく、剣道の理想とする一本とは何か、の問いに一つの答えをくれたのが松原範士の面だった。

■松原輝幸
(まつばらてるゆき)

昭和11年生まれ。
法政大学卒業後、会社員、自営業のかたわら全日本選手権4回出場など各大会で活躍、明治村大会優勝1回。
北九州市戸畑剣道連盟会長などを務める。範士八段

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