会心の面を解く

奥山麟之助

平成10年(1998)
全日本剣道演武大会
5月6日、京都市・武徳殿。
片手面が決まった瞬間を編集部のカメラがとらえていた

剣道のあり方を問いかけていた面

正確には分からないがおそらく1990年代初頭からの約10年間、奥山麟之助は京都大会(現・全日本剣道演武大会)で範士八段の最後を飾った。

写真の平成10年の立合は、当時の本誌でこんなふうに紹介されている。

「左右前後の自在な動き、構えから横メン、おもむろに構えた上段から再び横メン(写真)、そして竹刀が喉に吸い寄せられるような片手ヅキ。技を放つごとに『どうだ』といわんばかりに見栄を切る……」 立合が終わったあとの雑談の中で、奥山範士が穏和な微笑みをたたえながら「隙があるんだから打たずにはいられないんだよ」と言ったのを今も思い出す。

かつてはこんな剣風がこの舞台でもざらに見られたが、当時はもう希少価値となっていた。
八段、九段剣士のほとんどは、剣先の争いで相手を崩し、無駄打ちをせずここぞという機会で出す一太刀にかける剣道をしていた。

そんな中で奥山範士の剣道はとても軽快で、小気味のよいものに感じられた。
観客はユーモラスにも映るその動きに思わず笑みをこぼしつつ、賞賛の拍手を送っていた。

奥山は内藤高治、高野佐三郎という、明治から昭和初期における剣道界の両巨星に就いて修業した経歴を持つ。
彼らの下でこの剣道が培われた。

自由自在に身体を使い隙あらばどこからでも打つような剣道がかつてはあったことを、身をもって伝えてくれていた。
この剣道で現在の八段審査には通らないだろう。

八段審査によってそういう剣道は淘汰されてきたが、それで本当によかったのだろうか。
そんなことまで考えさせられた(今もその疑問は持ち続けている)。

平成13年、全日本剣道演武大会では九段の立合はなく、八段である奥山と近藤利雄(愛知)が文字通り大トリを務めた。
その2カ月後、奥山範士は93歳で還らぬ人となる。

■奥山麟之助
(おくやまりんのすけ)

明治40年生まれ、平成13年逝去。
高野佐三郎、内藤高治の両巨星に剣道を学び、昭和7年から京都皇宮警察に勤務、退職後も長く名誉師範を務めた。
範士八段

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