会心の面を解く

西 善延

平成11年(1999)
全日本剣道演武大会(京都大会)
5月6日、京都市・武徳殿。
銀塩カメラに単焦点レンズで撮影していた当時ならではの味わいがある写真

九段範士が剣道界の頂点で輝いていた最後の日々

 全日本剣道演武大会(京都大会)の最後に九段範士の演武が見られなくなって久しい。
平成12年、称号段位規則が新しくなり、以後、九段、十段は生まれなくなった。
その年の大会では九段の立合は一組だけになり、平成14年を最後に九段同士の立合は消滅した。

 制度が変わる前の最後となった平成11年は九段の立合が四組もあった。

「大会最終日大詰め、範士九段の部に入ると場内の空気が変わった」と当時の本誌は伝えている。
井上晋一×奥園國義、倉澤照彦×長島末吉の立合も見ごたえがあったが、谷口安則×堀籠敬蔵の立合で、谷口範士がただ一度だけ繰り出した小手技は、まさに相手の腕を切り落としたかのように感じられた。

 そして最後に登場したのが84歳の鷹尾敏文と81歳の西善延だった。
立合は静かな剣先の攻防から始まり、前半はともに技を出すまでに至らない。

ややあって鷹尾の出ばなに西が面、さらに西は小手、面で小気味よく攻める。
鷹尾も小手技で応戦するが、終盤になって西がまたも面を放つ。
間もなく時間となって大きな拍手とともに大会は幕を閉じた。

 それまでも何度か京都で西範士の面技を見る機会があった。
身体を大きく前に運び、相手を攻め崩して打つ、豪快な面がまぶたに焼き付いている。

その中で最後の立合となったこの面がベストというわけではないが、九段という「格」の違いを確かに感じさせた立合だった。
すでに戦前派の剣士は少なくなっていたが、そういった要素がまだ感じられたこの頃は、京都演武大会自体にも今より重みがあったように思う。

 当時の西範士について、稽古ではかかっていく八段以下の錚々たる剣士たちを寄せ付けないという話をよく耳にした。
この後も90歳を超えるまで道場に長く立ち続けたと聞いている。

■西 善延
(にしよしのぶ)

大正7年生まれ、平成23年逝去。
国士舘専門学校を卒業後教員となり、戦後は長く大阪矯正管区武道教官を務め、退職後も多くの役職を務めながら後進を育成した。
範士九段

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